「私たちはようやく自由の空気を吸えるようになりました」
ロシア軍による占領から解放されたウクライナ南部へルソンに住む女性の言葉です。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってまもなく9か月。
戦況の大きな転換点になるとの見方が出ているのが、ウクライナによる南部の要衝ヘルソンの奪還です。
そのヘルソンに入ったNHKの取材班が見たものとは。
(ウクライナ現地取材班 別府正一郎)
ロシア軍が撤退した要衝へルソンへ
首都キーウから南下して南部の港湾都市オデーサまで車で6時間。そこからさらに4時間かけて到着したのが、南部の要衝ヘルソンでした。
ゼレンスキー大統領が「ロシア軍から奪還を進めているへルソンを訪れた」とSNSで写真を投稿したのが14日。
その2日後、NHKの取材班は当局の許可を得て、地元ウクライナや各国のメディアとともにへルソンに入りました。
沿道には戦闘で破壊された建物が続く(クリックすると動画が再生されます)
真夏の7月に始まったと見られるウクライナ軍のへルソンに向けた反転攻勢。ロシア軍を撤退させ、奪還に成功するのに、およそ4か月かかりました。
現地はすでに冬になり、乾いた冷たい風が吹いていました。
ロシア支配の現実 あちこちに
町に入ると、数日前まではロシア軍の占領下にあったという現実が、目に飛び込んできました。
「ヘルソンはロシアの町だ」、「ヘルソンは永遠にロシアと共にある」といったスローガンが書かれた大きな看板がいたるところにありました。
9月下旬にロシア側が強行した、併合に向けた「住民投票」と称する活動の「投票日」を知らせる看板も。
しかしよく見ると、どの看板も文字や写真の一部が剥がされていました。奪還後、すぐに住民たちがこうしたロシアのスローガンを剥がし始めたのです。
喜びにあふれるへルソンの人たち
町は解放の喜びにあふれていました。
取材班が乗っているバスが市内に入ると、沿道の人たちが次から次に手を振って歓迎してくれます。
沿道で手を振る人々(動画)
町の人たちは、私たちのようにウクライナ側から訪れる人を見ると喜びを抑えきれないようでした。
8か月に及んだロシアの占領が本当に終わったのだと確認するように何回も手を振る人々の姿がありました。
ヘルソン市中心部の様子(動画)
市の中心部にある広場には数千人の市民が集まり、ウクライナの国旗を掲げたり、国旗を体に巻いたりして解放の喜びを表していました。
次から次に声をかけられ、一緒に写真をとろうと言われました。
ヘルソンの特産品はすいかです。広場の真ん中にもすいかが置かれ、人々はそのすいかをもって写真を撮っていました。
その様子を取材していると「あなたもこのすいかを持ちなさい」と渡され、半ば強引に私も写真を撮らされました。
「自由の空気を吸えるようになった」
しかし、こうした解放の喜びの強さは、それだけロシアの占領が過酷だったことの裏返しでもあります。
自宅の前で落ち葉の掃除をしていた58歳のルドミラ・ボロノバさんに話を聞きました。
ロシアの占領下で夫とともにヘルソンにとどまっていたルドミラさんも、ロシア兵に様々な嫌がらせを受けました。
携帯電話の中身を見られたり、捜索だといって家のガレージの一部を壊されたりしたと言います。
「町を歩くときはロシア兵とは目を合わせないようにしていました」、「刑務所の近くに住む人から、刑務所では拷問が行われていて叫び声が聞こえてきたという話を聞いて恐ろしかったです」と振り返りました。
その上で、現在の心境については「とにかくうれしいです。私は今、自由の空気を吸っています」と話しました。
深呼吸しながら「ほら、自由の空気でしょ」とうれしそうに語るボロノバさんの言葉が強く印象に残りました。
「好きなアニメは・・・」
「こんにちは」と、日本語で話しかけてくれた子どもたちもいました。
日本語で話しかけてくれた少年たち(動画)
14歳のダニエル君。
聞くと、日本のアニメのファンだと言って、日本でもよく知られたアニメのタイトルをいくつも挙げてくれました。ロシアの占領下のことを聞くと「ロシア兵はわが物顔で、欲しいものを盗んでいました。出て行ってくれてうれしいです」と話していました。
ロシア軍に破壊された町のインフラ
ロシア軍は撤退を前にインフラ施設を破壊し、へルソンでは電気も水道も止まっています。水くみ場にはバケツを持つ人の列ができていました。
通信インフラも破壊され、携帯電話もインターネットも通じないようになっていました。
解放されたといっても、住民たちは生活再建に向けた重い課題に直面しているのです。
こうした中、市の中心部近くで大勢の人が集まる一角がありました。
インターネットを提供する臨時の場所ができ、人々はそこでスマートフォンを使って情報を調べたり、家族や知り合いと連絡をとったりしていました。
32歳の女性は「ここに来ればインターネットがつながると聞いて来ました。ようやく親戚と連絡が取れました」と話していました。
ロシア軍が残したものは
ロシア軍はヘルソンの市内や周辺に大量の地雷を埋めていきました。
地雷の撤去作業(動画)
ヘルソン市内に至る幹線道路の脇でも、作業員たちが地雷を探知する器具を地面に近づけて地雷がないか確認していました。近くには、実際に見つかった大型の対戦車地雷が並べられていました。
市内でも地雷の爆破処理が行われ、取材中も爆発音がひっきりなしに聞こえていました。
地雷の除去は特に発電所や水道、それに通信インフラなどの施設の周辺で優先的に進められているということで、作業の責任者は「地雷が取り除かれないと、生活の再建を始めることもできない。作業を急いでいる」と話していました。
支援物資の配給始まるも・・・
多くの人が集まっていた広場では、支援物資の配給も始まっていました。
薬を求めて集まる人々(動画)
援助団体が薬を配る車の周りには数十人が集まり、話を聞いた母親は「子どもが熱を出していて、解熱剤がほしい」と必死に訴えていました。
さらに、ロシア軍は、ヘルソンに向けて砲撃を繰り返していて、21日には死者も出ています。生活が元通りになるにはかなりの時間がかかる見通しです。
今回、ウクライナ軍は侵攻後に占領された州都の解放という新たな成功を収めた一方で、ロシア軍による発電所などのインフラ施設を狙った攻撃はさらに激しさを増しています。
ヘルソン奪還後の15日には各地にあわせて90発以上のミサイルが撃ち込まれ、17日の段階で全土で1000万人以上が停電の影響を受けています。
ロシア軍から解放され、「自由の空気が吸える」ようになったヘルソン。
しかし、ミサイルの脅威に加えて、寒さにもさらされる、戦時下の厳しい冬が始まりました。
「自由の空気が吸える」ロシアから解放されたウクライナの町は | NHK - nhk.or.jp
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