「出石鉄道の廃線もある意味、奇跡」とは、出石永楽館館長の赤浦毅さん。当たり前のことだが、歴史は一朝一夕につくられるものではない。長い時間をかけて積み重ねていくものだ。なのに日本は古いものを簡単に壊してきた。だが出石はいい具合に取り残されたことで、昔のまち並みをそのままの空気感で残している。出石の人いわく「周回遅れのトップランナー」。
永楽館を建てたのは、芝居好きの小幡久次郎さん。芝居小屋の多くは、村や町の有志で建てられていたり、企業の福利厚生施設だったりする。個人が建てたというのは非常に珍しい。1930年代には映画館として使用されることになったが、その時も舞台と花道を残し、桟敷の部分だけを客席にした。封切ればいくらでも客が入る時代にだ。小幡さんの芝居への情熱と心意気は生半可なものではなかった。
その後、テレビの普及など時の流れには抗えず64年に閉館。44年もの長い間、壊されることなく眠り続ける。そのうちの20年以上も再生への地道な活動は続き、永楽館復元への機運が高まっていく。人々の思いと幾つもの奇跡が重なって、2006年ついに工事が始まった。棟梁(とうりょう)は田中定さん。このご縁もまた奇跡。次回は、田中棟梁の話をお届けしよう。
【バックナンバー】
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【河合美智子の但馬漫遊記】昔の空気感で残るまち並み - 神戸新聞NEXT
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