「地元に愛される店」にこだわった創業者
仙台市青葉区に本店を構える「肉のいとう」は、伊藤さんの父で先代の攻(おさむ)さん(77)が1967年9月に創業しました。50年以上にわたって、精肉や手作りの総菜を販売し続けています。屋号としても商標登録されている「かたい信用 やわらかい肉」というユニークなキャッチフレーズは、「良いものを安く提供する」「地元に愛される店作りにこだわる」という思いをこめて、攻さんが考案したものだといいます。
攻さんの息子である直之さんは、幼い頃から家業を間近で見てきました。しかし、自分で家業を継ぐ気はありませんでした。また両親も「肉のいとうは自分たちの代で閉める」と決めていたそうです。
直之さんは孫正義氏の経営手腕にほれ込んで、通信大手のソフトバンクで働きたいと思うようになり、大学卒業後の2005年に入社。2年間はシステムエンジニアとして勤務した後、経営企画部門で、会社の営業利益改善に取り組みました。転機が訪れたのは、2011年の東日本大震災でした。
「東北が廃れる」抱いた危機感
当時を振り返り、直之さんはこう語ります。
「震災から間もない2週間前後のころ、津波で基地局が流され安否確認がとれない被災者に、ソフトバンクで小型アンテナの設置や電源供給をするため、部門を越えた600人ほどのプロジェクトが組まれました。宮城県出身だった私も行くことになり、配属場所は女川、牡鹿半島、石巻、気仙沼、陸前高田でした」
「被災地は、本当に言葉が出てこないほどショックで、悲惨な状況でした。船が道路に乗り上げ、町は津波で流され壊滅的な状況だったのです」
「震災直後は募金やボランティアがはやっていて、全国の方々から温かい協力をしていただいていましたが、それは一時的なものです。そうした援助がある程度終わった後、東北に残された人たちはどうなるんだろうと考えました」
震災で職を失い、地元を離れる人も少なくありませんでした。それでなくても東北は、人口減少が早く進むだろうと言われている状況。「雇用の創出と産業の育成」をしていかないと、生まれ育った東北は廃れていくのではないかと、直之さんは強い危機感を覚えたそうです。
一体自分に何ができるのか自問した結果、「実家で仙台牛を売っていた」ことに思い至った直之さん。しかし仙台牛がブランド牛だとは知っていても、具体的にどんなものかまではわからないことに気づきました。そこで徹底的に調べると、新たな可能性が見えてきました。
仙台牛のポテンシャルに気づく
2012年当時、日本国内には300種類以上のブランド牛があるなかで、肉質等級が最上の5等級に限定されているのは信州牛と深谷牛、そして仙台牛の3種類だけでした。
また量について見ても、仙台牛の出荷量は当時年間7000頭ほど。他のブランド牛と比較してみると、例えば前沢牛は1000頭、米沢牛は3600頭。有名な松阪牛や近江牛でも6000頭台で、仙台牛の出荷量には及ばないことがわかりました。
質も良ければ十分な量もある。本来なら全国でトップクラスの存在となってもおかしくないポテンシャルを秘めているにもかかわらず、なぜ仙台牛がそこまで認知されていないのかと考えたとき、頭に浮かぶのはやはり「牛タン」の存在でした。
「仙台といえば牛タンというイメージが強いですよね。だから宮城県は仙台牛という眠った宝に気づかずに十分なプロモーションをしてこなかったし、県民自身もその存在に気づいていない。ここに原因があるのではないかと感じました」
東北の震災復興のため「雇用の創出と産業の育成」に加え、「仙台牛をもっと広く認知させること」。これが直之さんのなかで大きなテーマになりました。
方向性は見えてきたものの、「IT企業であるソフトバンクからいきなり食品小売業に転身しても、業界が違いすぎて一筋縄ではいかないだろう」という気持ちがあったといいます。2013年から2年間は休職して慶應ビジネススクールに通い、みっちり勉強してMBAを取得しました。主に消費者の購買行動分野におけるマーケティングを学びつつ、さまざまな業種業態の人たちとの交流を深めていきました。
「実は、この後にまたソフトバンクに戻る選択肢もあったんです」
このころの直之さんは、東京に家を買い、妻子と一緒に暮らしていました。加えて両親からは「ソフトバンクに勤めていた方が給料もいいし、リスクもない。家族もいるんだから、わざわざその生活を捨てて戻ってくる必要はない」と言われたそうです。しかしビジネススクールに通うなかで、被災地プロジェクトでみた町の壊滅的な状況が頭に何度もよみがえり、「東北を盛り上げたい」「仙台牛を全国を代表するブランド牛として認知させたい」という信念、使命感が大きく育ったことから、地元・仙台に戻り家業を継ぐ決意を固めます。
知名度を一気に押し上げたお弁当
2015年、直之さんは肉のいとうを運営するWIDEFOOD株式会社に専務として入社。「仙台牛をもっと身近に」をコンセプトにさまざまな事業展開を進めていきます。
大きな取り組みの一つが、同年6月に開始した弁当事業です。「仙台牛が県民に浸透しない理由の一つに、高価なイメージがあるからではないかと考えました。特別な日に食べるとか、誰かに贈る用途でしか買わないとかですね」。
そのイメージを払拭するために、1000円台というリーズナブルな価格帯からおいしいブランド牛が食べられる弁当開発を進め、2022年現在では35種類ほどのラインナップとなっています。
なかでも大きな話題になったのが、2015年6月に販売を開始した「壱万円弁当(3~4人前)」です。最高級A5ランクの仙台牛のみを5種類贅沢に使った弁当で、肉のいとうと仙台牛の認知度を一気に押し上げる人気商品となりました。
一方で課題も。全国放送のテレビ番組で数回放映され、遠方から取り寄せできないかという問い合わせが殺到したものの、冷凍での発送に対応しておらず、品質管理の面でハードルがあったためそれが叶いませんでした。この経験から生まれたのが、肉のいとうの新たな看板商品となる「お肉のおせち」です。
2018年に発売した「お肉のおせち」は、正月というハレの日にふさわしい、仙台牛が一頭丸ごと味わえるおせち。プロが調理した最高級の仙台牛を急速冷凍して作っており、冷凍の状態なら賞味期限が1カ月と長いのが特徴で、遠方への発送も問題ありません。また「三段重」の場合は9種類のお肉が入っていますが、それぞれが個別に冷凍されているので、1部位ずつ時間をかけて食べることも可能です。
「普通のおせちを食べていると、あまり箸が進まない具材があって。『私が食べる』とみんなが言うくらいの、お肉だけのおせちがあればいいなと考えたんです」
苦労も多くありました。冷凍にすることで味が落ちないよう、専門家にも食べてもらって何度も試食テストを重ねました。また「肉のおせち」特有の問題として、商品を多く用意すればするほど希少部位が不足し、その他の部位が余る問題もありました。
「試行錯誤を重ねた結果、多く取れる部位は他の弁当や総菜に流用するなど、工夫することで問題をクリアしました」
実際に販売してみると需要はかなり高く、2018年に370セットだった販売数量は、2019年には750セット、2020年には1050セットと年々増えていきました。
催事を全国への足がかりに
仙台牛のブランド化を推進するうえで欠かせないのが、百貨店などで開かれる催事事業です。肉のいとうとしてはじめての出店は、2015年10月に名鉄百貨店本店(名古屋市)で開催された「宮城県の観光と物産展」でした。50を超える宮城県の店舗が出店し、なかでも牛タンの店が非常に多かったそうです。
そんななか、肉のいとうは牛タンではなく仙台牛の弁当をメインに押し出します。似たような事業者が他にいなかったこと、「牛タンも仙台牛も両方食べたい」といった顧客の多様なニーズに応えたことなどから、全店舗のなかで売り上げ上位の好成績をおさめました。
そうすると他の百貨店のバイヤーの目にとまったり、同系列の百貨店に横展開できたりなど、どんどん催事への出店も増えていきます。日本一売れると言われているJR名古屋高島屋の「楽天うまいもの大会」の2016年開催では、80店舗中、1週間の総合でトップ10入りを果たしました。
「仙台牛の認知を上げると言った場合、地元の方向けと全国の方向けとで大きく二つに分けて考える必要があります」と直之さん。全国的な認知度を上げるには催事の場で、普段仙台牛を食べる機会がない人に歴史や魅力をしっかり表現し、そのうえで「おいしい」と思ってもらえる努力をする。本当に気に入っていただければ、1年に1度の催事を待たずして、通販サイトで頼んでいただける。こうした地道な取り組みが大事なのだといいます。
直之さんは、2015年に仙台に来てからすぐに、もともと自社サイトだけだった通販を大幅に拡大していきました。今では楽天市場やYahoo!ショッピング、Amazonなど、8サイト以上を自社で運用・販売しています。
その後、2017年にブランド推進室を立ち上げてSNSの発信を強化したり、商品を送る際に同梱するリーフレットを作ったり、メディア対応を強化するなどの対策を講じています。この結果肉のいとうの認知度は大きく向上し、年間30回以上メディアに掲載されるまでになりました。
地元向けの発信も強化
全国への発信と同時に、宮城県内での認知度を上げる施策も続けています。オリジナルキャラクターやテーマソングを作成し、宮城県内のテレビCMで流すようになりました。肉のいとうのテーマソングは3番まであり、直之さん自身が作詞作曲を手掛けています。これまでに特別な音楽の経験はなかったそうですが、大人から子どもまで親しみやすい歌詞を意識しました。
また近年力を入れているのが中食・飲食事業の拡充です。2021年4月にはJR仙台駅1階に、弁当や総菜が買え、イートインも楽しめる「仙台駅1階店 -MeatStage-」をオープン。2022年3月には、肉のいとう直営の仙台牛を使った初の焼き肉店「焼肉のいとう」木町通店などが相次いでオープンしています。
木町通店では、「和牛最高峰の仙台牛と仙台名物肉厚牛たんの本格焼肉をリーズナブルに」というコンセプトで、カップルや家族が記念日などに利用できる店舗を目指しています。
コロナ禍でも伸ばした売り上げ
直之さんは2021年4月、WIDEFOODの代表取締役に就任しました。家業に入った2015年から、一連の取り組みによって、売り上げは7倍くらいに増えたといいます。
「コロナで全国の催事イベントはほとんどなくなりましたし、法人の会合や打ち合わせが減ったことで弁当の販売数も減りました。一方で8サイト運営している通販は、自宅でのお取り寄せ需要が伸び、売上が増えました。また店頭では、すぐにお召し上がりいただけるテイクアウトの総菜などがよく売れています。それぞれの事業部門によって売り上げに増減があったとしても、会社全体としての売り上げは増え、結果として利益が増える体制を目指しています」
昔と変わらぬ「町のお肉屋さん」の顔
仙台に戻ってきてからの1つの目的だった「宮城県内での認知を上げる」ことが達成されれば、より全国での展開を広げていきたいといいます。催事やネット通販をベースにしつつ全国各地に出店し、弁当や総菜の販売、飲食店出店も視野に入れているとのことです。
また肉のいとうでは2017年から仙台牛の海外輸出を始め、現在ではベトナム、タイ、香港、シンガポール、フィリピン、台湾の6カ国への輸出を行っています。コロナ禍が収束し海外のバイヤーとの交流もまた盛んになれば、今まで以上に海外での事業展開も実現しやすくなるのでは、と語ってくれました。
こうした展開がある一方、「町のお肉屋さん」として長年親しまれてきた歴史もあります。肉のいとう本店では月に1度「ダイレクトメールセール」を開催。これは、はがきを持参した人だけがかなりお買い得に商品を購入できるセールで、本店に来店してくれた人に還元する昔から変わらない仕組みなのだといいます。
東北の震災復興を実現するための「雇用の創出と産業育成」を目指し、お客さんが喜ぶ商品を考え続ける直之さん。地元のお肉屋さんとして、仙台から日本全国、そして世界へと仙台牛を中心に展開していくビジョンに大いに期待したいです。
名物は牛たんだけじゃない 「肉のいとう」2代目が広める仙台牛ブランド - ツギノジダイ
Read More
No comments:
Post a Comment