2022年05月14日13時41分
アマチュア野球の指導者として多くの名選手を育て、12日に90歳で亡くなった松永怜一さんは、日本オリンピック委員会(JOC)で強化の陣頭指揮を執った時期がある。2001年、02年度に常務理事で選手強化本部長を務め、競技団体の意識改革を徹底。04年アテネ五輪のメダルラッシュへ、呼び水となった。
02年11月上旬のJOC理事会は、釜山アジア大会(9~10月)の総括がテーマだった。日本は目標の金メダル65個に遠く及ばない44個にとどまり、前回バンコク大会(52個)からも後退。01年度からスタートさせた「10年間でメダル倍増」が柱のJOCゴールドプランに向け、アジア大会をアテネ五輪につなぐ重要な試金石と位置づけていた。
席上、温厚な松永さんが語気を強めた。メダルなしの競技名などを挙げながら、「戦う以前の問題だ」「指導者を含め大改革が必要」。従来なら報告などで終わりそうな会議の空気が一変した。
その後、数日をかけて各競技団体と個別に反省会を実施。「主題はアテネに向けていかに強化するか。腹を割って話し合えた。有意義だった」。松永さんは03年春に役員70歳定年制で退任した。
当時のJOC会長、竹田恒和さんは「松永さんは規律を重視され、われわれは『校長先生』と呼んでいた」と振り返る。「選手と向き合う現場主義だった。JOCと現場が近くなり、強化の在り方を変えた人。(アテネ五輪での)飛躍への礎を築いていただいた」
03年には長嶋茂雄さんがJOCの「エグゼクティブアドバイザー」に就任した。法大OBの松永さんと立大OBの長嶋さん。東京六大学野球で縁が深かった松永さんの後押しによって実現した。
松永怜一さん、JOCでも存在感 空気を一変させた「校長先生」 - 時事通信ニュース
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