秋田生まれの菅義偉首相は、横浜市を地盤とする衆院議員の秘書、横浜市議を経て国政に出た。元横浜市議長の藤代耕一さん(86)は、秘書時代からの菅氏を知る人。退陣決意に「驚いた。総裁選で負けるより、空気を見て、やめると判断したんだろうね」と残念がる。「引き続き、国民のために活躍してもらいたい」と願った。
菅氏は法政大卒業後、横浜が地盤で通産相も務めた小此木彦三郎衆院議員の秘書になった。藤代さんも同じころ、神奈川区選出の市議の秘書をしていた。秘書仲間として親しくなった。
菅氏の仕事ぶりを「誠心誠意やっていた」と振り返る。「陳情は門前払いしなかった。実現するよう動き回り、できなかった時もその理由を説明していた」
官房長官時代、霞が関の官僚人事で辣腕(らつわん)をふるったことで知られる菅氏だが、横浜市議時代も、人事情報に精通していたという。「市の局長や課長でも『この人は使える』『これはだめだ』という選球眼を持っていた。優秀な役人とコンタクトを持っていた」と振り返る。
菅氏が首相になってからの仕事について、藤代さんはデジタル庁の設置や東京電力福島第一原発事故で発生した処理水の海洋放出決定などを挙げ...
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首相辞める判断「空気を見たんだろう」 旧知の元横浜市議長 - 中日新聞
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