天皇制は例外状態の時に出てくる
大澤 今回は私と木村さんの対談本『むずかしい天皇制』刊行を記念してお話をします。一般的な本では「すぐ理解できる!」ことを売りにしそうですが、「むずかしい」をわざと前面に出した珍しい本です。今の時代、「むずかしい」と率直に言ったほうがよいと思いましたが、実際、わりと読者に届いているようで良かったですね。 木村 ええ。今日も「むずかしい」話になるかもしれません(笑)。大澤先生の新刊『新世紀のコミュニズム』にも絡めながら、色々とお話できればと思います。 まずお聞きしたいのは、現在のコロナ禍についてどう定義しているのかです。緊急事態宣言が出される中、「コロナに打ち勝った証」だったはずのオリンピックが開かれようとしている。現在を「日常」と捉える人も、未曽有の緊急事態だとする人もいます。 今回の感染症は、民主主義体制において対応が難しい感染症なのではないかと思いました。ものすごく致死率が高いのであれば、なにがなんでも封じ込める対策をしようと意志決定の合意がしやすい。しかし、致死的な影響の出る割合が年代によって全然違うため、ただの風邪と主張する人から、極めて危険な感染症として扱う人まで様々でした。もちろん、感染症の専門家の方の多くは、封じ込めなくてはいけない凶悪なウイルスだと認定しているわけですが、国民みんなが参加する民主主義に基づく集合的な意志決定は非常に難しい。 大澤 社会の中でも個人の中でも、コロナを日常の一部とするか、例外的な状況だと考えるのか、ふたつの心の動きがある気がします。僕のスタンスとしては、この状況をクリエイティブに解釈するために、例外的な状況として捉えるほうがいいんじゃないかと思っていますね。ただし、それは、一過性という意味での例外ではなく、むしろ私たちをかつての日常へと二度と戻すことがない、という認識を付けた上での例外です。 そのことを理解してもらいたいという意味もこめて、『新世紀のコミュニズム』では「人新世」(Anthropocen)という概念を取り上げました。「人新世」とは地質学上の時代のこと。人間の活動が地球の生態系に大きな影響を与えるようになったという意味ですが、それだけではなく地球の生態系の大規模な「破局」の予感も伴い、終末論的な臭いがあります。そしてコロナ禍の状況を意味あるものとして受け取るとするなら、映画の予告編のようなものだと感じました。人新世の終わりになにが来るのか、一瞬見せてくれる。 天皇制の話と関連させると、日本人にとって天皇制は日常になっていますよね。普段はほとんど意識しないが、例外状態の時に天皇制が出てくる。例えば、明治維新が始まった時もそうです。そして、現在は例外状態であるともいえます。オリンピック開幕の一月前に、天皇が――宮内庁長官の口を通してというかたちで、ですが――、オリンピックで感染拡大を懸念していると異例の発言をしましたが、これは、コロナ禍が天皇が登場するような例外状態のひとつだということを示している、とも解釈できます。
空気が支配する日本で「天皇制」が担ってきた「意外な役割」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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